2015年2月9日月曜日

108つの煩悩をひとつずつ充してゆく。

ものごころついた頃から、大晦日に108回千光寺などの尾道のお寺で鳴らす除夜の鐘を聞くたびにピンとこない感じがしていた。ざっくり言うと煩悩をひとつずつ打ち消す的な意味が込められているらしいけど、鐘をついても煩悩は消えないよって。その証拠に去年も108回鳴らしてたでしょって。


煩悩とは

人間の心身の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望,他者への怒り,仮の実在への執着など。(Weblio 辞書)

しかも108っていうのも定説じゃなくて、宗派や説によって、3って考えもあるし84,000って説もあるらしい。(Wikipedia)

それって現状不満足の種ってことだと思うわけです。でも、欲と進歩は背中合わせ。人は欲をかなえようと行動していく結果として進化してきたといっていいじゃないですか。


もし本当に除夜の鐘で煩悩が封じられたら

煩悩の数はまぁ諸説あるのでXとして、ほんとうに1回鐘を打てば1つ煩悩が封じられるとしたら、人はどうなってしまうのか。天国のような花畑に蝶が舞い、人々は朝から晩まで笑ってすごせる世界になるんでしょうか。どうしてでしょう、全人類が瀬田宗次郎になってしまう気がして怖いです。所詮この世は焼き肉定食。うまければ喰う、まずければ残す。全員が食べる人なら人類みな笑ってすごせますね。けど、作ってくれた人は残されたら笑えません。だとしたら作り手の煩悩は充たされないのかもしれませんし、社会は全員は食べ手であり、作り手ですから、除夜の鐘パラドックスが生じるかもしれません。

人類目標と、それを阻害するもの

僕らはなぜ進歩するか。おじいちゃん、おばあちゃんよりもシモヤケが少なく、ケンカがすくなく、お腹すかさないように。おとうさん、おかあさんよりも見た事の無い物を見て、食べた事のないものを食べていくためとかってカジュアルな理解でいいと思うんです。苦からの解放とも言われてます。では僕等の子孫が将来直面する最大の避けがたい苦とは何でしょう。急に話しが現実味を失って聞こえるかもしれませんが、それは地球や太陽の消滅です。さらにいうと太陽系だけでなく、銀河だけでもなく、この宇宙そのものも終焉の時はやってきます。どうやってやってくるかは諸説あります。中には終焉は無いという人もいます。終焉が無いという意見をよく訊いてみると、宇宙の定義が違うだけで、やはり今の宇宙とはまるで違う宇宙になってしまうことだったり。そして、そのとき僕たちの子孫はマルチバースを往来して生きられる生物になっている必要があります。笑いも出ないほど遠い未来の話ですが、人類はいつかそれをなし得るほどに生体や技術を進化させると思っています。それを阻害する大きな要因が、人間同士の争いによる自滅や文明のリセットです。宇宙の終焉のカウントダウンは待ってくれません。進歩がそんな足踏みをしている時間はないんです。でもどうしたらいいのかはわかりません。

僕等はなぜ煩悩を備えているのか

なんでしょう。世界はいつか終わるからって前提で話しを組み立てると激しく新興シュー教っぽいです。ぞわぞわします。そもそも煩悩はなぜ僕等に備わっているのかに話題をシフトしてごまかします。はい。自然界のあらゆる生物や営みには理に叶った理由があります。獲物を補食しやすくするため、異性の注目をあつめてDNAを残すため、より強度の高い構造になるため、敵から身を守るためなど。セツナイけど一定の割合でイレギュラーな遺伝子構造が生じるのもDNAに乱数をもたらし異なる個性を環境に投下して順応する意味があると思えます。では僕等が煩悩を備えて生まれてきたのにも意味があるはずです。鐘をついてかき消している場合じゃないです。あ、情景としての除夜の鐘は結構スキです。

煩悩の何がいけないのか

煩悩の多くがそれを行使すると、他人に迷惑がかかったり、社会秩序に波風を立たせる場合があるのが問題ではないでしょうか。つまり、僕等に課せられた仕事は、周囲のストレスを最小限に抑えながら煩悩を充たすことではないかと思うわけです。それこそが僕等が生まれ来た意味でありミッションだと言ってもいいくらいです。言い切ってしまいましたよ。不衛生から来る疫病を減らすために川での洗濯が生まれ、川まで往復する疲労を減らすために井戸や洗濯板が生まれ、さらに洗濯機が生まれたように。川での洗濯は川下の汚染を招き、井戸を掘るために命がけの作業を余儀なくし、電気や洗剤はまた別の煩悩を生みます。でも、原始の頃よりも人類の寿命は伸び衛生的生活を享受しています。「洗濯」の「選択」によって僕等の煩悩はすこしずつ充たされているのではないでしょうか。

煩悩は上限を超えない

煩悩を充たすために苦労するということになると、それが別の煩悩を生むような気がします。それだと煩悩を充たすことに価値が感じられないかもしれません。ところが、そこで便利なのが除夜の鐘・仏教でいう煩悩108つなどの定数説です。煩悩のひとつを充たすために生じる煩悩はあらかじめ僕等がもっている煩悩のひとつなのです。つまり、煩悩を充たしても煩悩の総数は増えないんです。ひとつ充たされるだけ。すばらしいです。この前提を作ってくれた先人に感謝したいので、そのためだけに正月にお賽銭をしてもいいような気さえしてきます。


僕は人類の第一歩のために煩悩を充たす旅に出た

今日は笠岡ベイファームさんから「いつもより豪華な料理を用意しているし、菜の花は7割り咲いてるし素晴らしいです」と煩悩のメールマガジンをもらっていました。映画館ではまだまだベイマックスが注目ですが、僕の中で今日の注目はベイファームです。しかし、今日は職場に出なければいけませんし、そのようにお知り合いの皆さんにも約束をしています。したがって、今回この煩悩を充たすようなことになれば、皆さんにご迷惑をおかけすることになるのです。僕はこの煩悩は鐘を叩いてかき消すリストに入れておこうと思っていました。ところが朝になって、様奥から行きたい所があるのでアッシーをしてくれと急なリクエストを受けました。様奥のリクエストは全てにおいて優先されますので、即答で了承しました。次の瞬間、職場に出勤しなければならない優先度が更新されてしまったことに気づきました。そして思い出したのです。こんなことは時々あるじゃないか。そして現代はモバイルルーターやモバイル端末の進化で、職場にいなくても緊急なサポートは出来るではないですか。

様奥のアッシー用件を終えた僕は、先人が自らの煩悩と格闘して得たモバイル機器と、せっかく出動した車とガソリンの残量、そしてメールマガジンの文面を多角的に情報処理し結論を導きだしたのです。ベイファームに行こう。煩悩を充たす旅に挑戦しよう。万が一その最中に重大な案件が発生すれば、モバイルよりも職場のほうが安定した仕事が可能であり、お知り合いの皆さんにかかる迷惑もより抑えられるかもしれない。でも、モバイルでも職場と遜色ないサポートを行い、さらに僕の煩悩を充たせれば、人類の一歩につながるはずです。

菜の花キレイ


いやぁ、さすが月曜日の昼間。行楽気分の人は少ないです。空いてて気分サイコーです。菜の花も種から発芽したばかりの苗や、もう膝の辺りまで伸びで開花したものなどみずみずしい景色をひとりじめです。尾道から笠岡まですこし距離がありましたが、花に吸い寄せられた虫のように気分はブンブン飛び回りました。

レストランをアナログ予約

まだ開店まえですいてると思ったんですが、僕の前に予約者が多数います。みんな考えることは同じということですね。わかります。末席を汚させていただきます。そしてアナウントが「てらみなとさま、てらみなとさま」そこらをブラブラしていたおじさんは、レストランまでブンブン飛んできました。


アイスプランツと生ハムのサラダ


さすが特別なマンデーです。アイスプランツが山もりです。軽くサクサクした食感がたまりません。今回の煩悩タンクはすでに満タン寸前です。


揚たて人参、蓮根、茄子の天麩羅

サクサク、サクサク。煩悩タンクFullです。天つゆでもしいし、梅塩もいいです。

アイスプランツのビーンズキーマカレー

ターメリックのミートソースかってほどのひき肉充なキーマカレーが、エアインチョコばりに空気の泡がちりばめられたアイスプランツと、まったりとさっぱりのインドとフランス合同祭りです。

キライな訳がないすき焼き

実はサーロインステーキもペロリと食べたんですが、一瞬で食べてしまって写真がありません。しかたがないのですき焼きでフィニッシュにしました。

尾道へ帰ります

え?寄り道なんかしません。職場に戻ります。バイパスを法定速度の上限と、周囲の交通事情を判断しながら最短で尾道に戻り、無事出勤しました。おはようございました。



こんど、アマゾンで除夜の鐘を注文したほうがいいかもしれません。アマゾンでggってみるとなんと取り扱いがあるようです。ただ音源販売のようです。自分で打たなければ効果が薄い気がしますので、本物の取り扱いがはじまったらレビューなどを読ませていただきよければポチりたいと思います。

なんども職場を訪ねていただいたYさん、お電話いただいた行政系の方ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。もしいい景色やおいしいものご存知でしたら教えてください。では失礼いたしまうす。

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