2015年5月28日木曜日

耳をすませばスキなすべての人にいいPodcast

Yacht Harbor of Onomichi 2015/05/22 文春ジブリ文庫第9弾ジブリの教科書・シネマコミック「耳をすませば」インタビュー のPodcast(ジブリ汗まみれ)

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僕はジブリ関連の映像作品の中で、もっとも回数見ているのが「もののけ姫はこうして生まれた」などもドキュメンタリーです。


ジブリのメイキング映像が大好物


無から有を作る人たちの孤独な熱さにとても気分をあげてもらえます。できれば全ての作品でメイキング映像があればいいのにと思うほどです。

なぜ耳をすませばだったのか


耳をすませば は 宮崎駿さんの別荘に、押井守さんや庵野秀明さん、宮崎吾朗さんと一緒に避暑にいっていた時、電話も新聞もない民家で、本棚にあったコミックスの「耳をすませば」と「コクリコ坂から」のほんの一話を元に、みんなでそのエピソードの前と後ろを妄想して楽しんだ。

宮崎駿さんはその後、スタジオに戻ってもその前後が気になりスタッフから本を借り、自分たちの想像との違いに愕然とする。そのことで強い思い入れをもった。

その10年後、映画化の企画に発展する。

宮崎、高畑両監督に愛された近藤喜文監督


宮崎駿さんは自らは監督・絵コンテに専念し、作画監督として近藤喜文(本当はこんどうヨシフミさん、業界ではこんどうキブンさん、コンチャンと呼ばれていた)さんを起用するスタイルを希望していたが、絵をかけない高畑勲さんと近藤喜文さんの奪い合いになり、赤毛のアンや未来少年コナンで起きた高畑vs宮崎の近藤さんの奪い合いが、最終的にあの有名な「となりのトトロ(監督:宮崎駿、作画:宮崎駿)」vs「火垂るの墓(監督:高畑勲、作画:近藤喜文)」の二本同時製作事件に発展。

宮崎さんが監督を続けるための布陣


すばらしい手腕をみせる近藤さんを自分の専属作画監督にしたい宮崎さんは、近藤さんの晴れ舞台として近藤さんに映画監督をしてもらうことで宮崎さんご自身が理想とした作成スタイルに持ち込むことを企てる。作品は近藤さんの得意な児童文学では華が無いのではという宮崎さんの意見から、宮崎さんの心に強く残っている「耳をすませば」が決定。(本来は監督が決めるはずの部分も、実際には宮崎さんが監督で、近藤さんが作画という宮崎さんの理想スタイルの実現という思惑のため、ダブル監督状態のような状態になる)

カントリーロードは家出の歌になるはずだった


近藤さんに監督にまかせたものの、自らも監督欲がふくらみ介入する宮崎さんと近藤さんは幾度となく衝突。

このPodcastでは以下の衝突点が語られます。


  • カントリーロードの 日本語歌詞 の修正問題。
  • 天沢聖司の正体を知って動揺する雫のリアクション問題。
  • ひと気のない地球屋でパンツを見せるか見せないか問題。


この道ずっとゆけば


聴き終えて目元はポカポカ、ティッシュがいるかと思うほどでした。
映画は2時間程度で消費されてしまうものですが、製作スタッフさんたちは数年間そこに身を投じて労働し完成させています。映画に込められた時間は、製作者さんたち人数×かかわった時間の全てが圧縮されて封じてある。それはわかっているんですが、こういうのを知るとあたらめて感じられていいです。映画に限らず、仕事というのはタマにはこういうクラクラするような熱量をかけるものでありたいとか思ってみたりします。

近藤さんは、このあとすぐに亡くなっています。もし、宮崎さんの後継者や手足として絵をかける近藤さんがご存命でしたら、ジブリの体制は変わってたというのは、耳をすませばのファンはいつも思います。居ない人を思うなら抜けた穴よりも、彼らの情熱を思いたいです。この道をずっとゆけば何があるのか。この歌は、遠くから眺めるように立ち止まって振り返るような歌ですが、2コーラス目でふるさとはそんな自分を叱っているんですよね。時々僕を叱っているのは誰かな。親父かな、おばあちゃんかな、駄菓子屋のおばちゃんかな、勤めてた会社の上司かな、飼ってたネコかな。

これからも何度もみて、いろいろなことを感じさせていただけると思います。ありがとう。製作の皆さん。


ツヅリ・ヅクリさんの公式動画(カバー)

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