焼きチキンのチキンラーメンらしさとは何なのか。あなたはどんなときもチキンでいてくださいと言いたい。そもそも○○らしさとは自由を奪う呪縛なのかもしれない。焼チキンはその纏わり付くクサビを…いや、麺を断ち切ったようです。
ご覧下さい。このパッケージの写真を。もうすでにフライパンが大写しになっています。消費者には買っていただく時点で丼では作れないということを暗示しているわけで、メーカーさんはある程度の誤解を理解した上で我々に問うて来ているという事が見て取れます。
パッケージを比較
通常のチキンラーメンはこれです。
半熟卵のシズル感と満たされたスープ、それらを包み込むラーメン丼の小さくてあたたかな世界観ともてなされ感。すばらしく完成されたパッケージです。それに比べて焼きチキンは「食べたければまず作りなさい」という「働かざるもの喰うべからず」的な厳しさを感じませんか。おっさんの表情が通販でよくみる、使用前使用後のようで華麗なるサギシマーケティングっぽいです。焼チキンの裏パッケージをみて困惑してるというだけなのですが、なかなか偏向バイアスっぽい比較に仕上がりました。
チキンラーメンは作るという行程はいただきますに直結
あらためてチキンラーメンというのは、作ることがいただきますに直結している商品だと気付きました。丼にスープと卵。それはもうなんなら食べてもいいくらいの食卓の図です。数分待つというのも、あつあつのお茶漬けをふーふーしてる時間といってもいいくらいです。あつあつのお茶漬けをふーふーするというのは、もうすでにいただきますは済ませているのです。そうもうこの時間は食べ始めているマインド領域に入っているのです。ところで、チキンであるチキンラーメンに子である卵入をれたら親子麺ってことで黄金の相性なんでしょうね。焼チキンを作るということ
どうですか、この見事な調理感。とてもチキンラーメンを食べようとしているようには思えません。フライパンはひとつでいいのかもしれませんが、途中でつめたい水を加えるとインスタント麺の調理体験的にはリセットされる気がしてさみしいので、お鍋ふたつ体勢で挑みました。もうこうなると、食べようとしているというよりも、誰かのために作っているという気分がしてきてシェフになれたようです。卵焼きを湯がくという未体験ゾーン
最初に卵を炒めるということは、同じ焼き料理の代表選手である「炒飯」を思い出していたんです。炒飯は最初に炒めた油のからんだ卵を、ご飯にからませて馴染ませることがありますから。ところが、焼キチンさんはこの時点で卵にお水を入れろとおっしゃるのです。驚きの連続でわくわくしてきます。いったい自分が何を作っているのか、何をしようとしていたのか、星座は何座だったのか、血液型は何だったのか。めくるめく調理はフィニッシュを迎えました。別袋のあるチキンラーメン
カップや袋の麺類を食べる時、よく薬味や別入れスープを忘れる僕にとって、チキンラーメンはその心配のない清い即席食品でした。しかし、この焼チキンさんは薬味の別袋があります。パラパラと振りかけてみるとみごとな焼きそばビジュアルが完成しました。これは上がります。いったいどのような食事を体験させてくれるのか。いただきます。
焼チキンをずるずるずる。
チキンラーメンをつるつる。すぐおいしいすごくおいしいチキンラーメン。今回はその道のりは遠く新鮮で、夜のピクニックのようにわくわくでした。思ったより驚きの連続だったので、チキンラーメンさんが伸びているような心配もありますが、多少伸びているのも好きです。いただきます。
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